宮島

2015年10月初め頃の宮島です、広島、宮島はほぼ40年ぶりです。

台風25号(CHAMPI) 少し早まったようです

フィエスタリゾートの庭が水浸しで、プールも波打っています

台風25号(CHAMPI) 10月16日16時頃サイパン最接近

前の台風被害からもまだ完全復帰できていないのに、、今年は台風当たり年のようです。

http://www.usno.navy.mil/NOOC/nmfc-ph/RSS/jtwc/warnings/wp2515.gif

サイパン島 地獄谷

台風で道が無くなってしまった地獄谷ですが、パウパウドライバーとガイドで道を作ってきました。

9月1日から慰霊巡拝ツアーを再開します。

まだあちこちに倒木があり道も良くないので必ず長そで長ズボンでご参加ください。

サイパン島 台風被害からの復旧

9月1日、今朝はサンビセンテからダンダン道路を通って会社に来ました。

9月1日 台風直撃からひと月

島に緑が戻ってきました、しおれていた庭の植木も花をつけ始めました。

何か和みます。

満月  8月31日 今月2度目の満月

お月様の写真、上手に撮れたことが無い。肉眼で見るように撮る方法は無いのだろうか、、、。

サイパン島 台風からの復旧状況  ビーチロード  8月31日

8月も今日で終わります、台風直撃からほぼひと月がたちました。

ビーチロードもきれいになっていました、信号も、街灯もポチポチ付き始めましたが

島全体に電気が通るまでにはあと数か月かかるだろうと今朝の新聞に出ていました。


島で暮らす我々には厳しい暮らしではありますがツーリストで来られる皆さんには

いつも通りサイパン島を楽しんで頂けるまでには回復しています。


満月

写真の月は昨晩8月30日の月です。




今宵8月31日は「ブルームーン」

ブルームーンと言うのはひと月に

2回満月が見られる、その2回目の 満月をブルームーンと言うのだそうですがあっちこっちの解説を読んでいたらわからなくなってきました。

サイパン島 台風後の普及の様子         8月30日

台風13号直撃からそろそろひと月です。


メインの道路がどんどんきれいになっていきます。倒木も撤去され電柱も立ち並び始めました。

一本奥の道に入るとまだまだ普及には時間がかかりそうですが確実に前へ進んでいるという

実感があります。

しかし電気、水が戻り普通に暮らせるまでになるのには、まだまだ長い道のりのように思えます。

島の皆さん一緒にがんばりましょう! 


ガソリンが22セント値下がりしていました。 バンザイ\(-o-)/

サイパン慰霊巡拝ツアー再開のお知らせ      8月30日

台風後最高を見合わせていた慰霊ツアーを9月1日より再開します。

ドンニ―の野戦病院跡地、地獄谷は台風による倒木の為道がふさがれてしまっていましたが、  パウパウドライバーやガイドメンバーで少しづつ道を作りました。

写真は倒木撤去前の写真です。

ジャングル掃除中に見つけた古銭 寛永通賽 銭形平次の文銭だ。

サイパン島台風被害 停電断水23日目

  友人からの救援物資が到着

停電断水生活23日目に突入しました。

さすがに皆疲れが隠せない状態ですが、でもお客様が楽しく過ごせるように

日々頑張っています。

シャワーも食事も洗濯もままならないけれどいつかは元に戻るわけだし今だけ我慢!

そんな中日本から救援物資が届きました。

DHLのお兄さんが大きな箱を5箱もオフィスまで届けてくれました。

送ってくれたのはサイパンOBの○嶋さん。

アルファー米の水だけで作れるご飯で五目、鶏、ドライカレーなど種類もいろいろ

しかもお水付きでした。

激励のお手紙もちょうだいして、何かもっと頑張れる気がしてきました。


オフィススタッフ、ドライバー、ガイド、メカニック皆で感謝しております。


台風13号被害復旧の日々                8月18日

米軍海兵隊&水平さん、、皆かっこいい感動的!本当にありがとう

This picture speaks a thousand words. We extend our profound gratitude to the Sailors and Marines.

台風15号、16号 目が出来てきました。         8月17日

熱帯低気圧が又発生しています、今年は台風当たり年かも、、。

  ダブルの虹 8月13日夕刻ひまわりストアーの駐車場

倒木処理



大木が皆倒れてしまった自宅です。ドライブウェイは確保してくれたものの横に避けた倒木の山が庭のあっちこっちにあります。


この山は何時までこうしておくんだろうか。

台風直後の片づけはせっせせっせといい動きをしていた我が家の男性陣ですが、ドライブウエイ確保して安心しちゃったんだろうか。



庭のタヒチアンチェリーと桑の実

台風暴風雨で枝は折れ葉っぱはむしりとられボロボロになっていた庭木が、、

わずか10日ばかりで新芽を吹き出し、花も咲いた。

自然ってすごいなぁ~、と普段は何とも思っていなかったのに台風後はいちいち感動の日々だ。

ソーラー電気充電中です

8月2日の台風からずっと停電なのですが夜間の明かりは庭用のソーラー電気で賄っています。

で、、今ソーラー電気充電中。

しかし、、雨が降ったりすごく曇っている日は充電してくれない。

そんな時はろうそくがあるさ!

台風13号 Soudelor サイパン直撃から9日目

サイパン北部

タポチョ山頂上から

マリアの祠 サンタルーデイス

アスリート飛行場  旧日本海軍航空基地

チャランカノア 日本家屋 マウントカーメルスクール

サイパン神社 シュガーキングパーク

日本刑務所跡 ジャパニーズジェイル

停電の熱帯夜はソーラー電気と北極圏ゲルで乗り切る  8月11日

台風前にAmazonで買ったソーラー電気です。 

植木のライトアップ用に外で使っていたものを家の中に持ち込んでみたら

そこそこ明るく重宝しています。

昼間外へ出してソーラー充電しておけば朝までOK。

そして今や必需品となった「北極圏ゲル」

サイパンの熱帯夜をクーラー、扇風機無しで乗り切るのはかなり辛いものがあります。

そこで「北極圏ゲル」。

去年遺骨調査チームメンバーの一人が持って来ていたもので「頂戴」と言ったら

置いて行ってくれました。

これを体中に塗りスースーしている間に寝てしまうのです。 





そして台風以来必需品となったのが「北極圏ゲル」

サイパンの熱帯夜をクラー、エアコンなしで過ごすのは辛いものがあります。


そこで思い出したのが「北極圏ゲル」


去年遺骨調査チームのメンバーの一人が持っていた物で帰るときにもらいました。


寝る前に首回り、頭のてっぺんや肩付近に塗ってみたら、、スースーして一気に涼しくなりました。


スースーしている間に眠ってしまえば熱帯夜も乗り越えられる。

アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁からの物資援助

今日のサイパン新聞(マリアナス バラエティー)記事より。

昨日アメリカンメモリアルパーク他計3か所で救援物資の配布がありました。

救援物資を配布したのはFEMA(Federal Emergency Management Agency) 

アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁と言うところです。

朝5時半から8時間くらい列に並んでいた方々がたくさんいたそうです。

配られたのはお水とレーションと呼ばれる米軍軍用食です。

http://www.mvariety.com/cnmi/cnmi-news/local/79076-residents-wait-in-long-lines-for-hours-for-free-food-from-fema

下はサイパントリビューンの新聞記事です。

Residents queue up at the American Memorial Park, one of the distribution centers for typhoon relief goods that were opened on Sunday. (Joel D. Pinaroc)

台風13号、サイパン直撃から1週間       2015年8月10日

先週の今頃皆唖然として町を見ていた。

自分ちの庭でさえここはどこだったっけ?と呆然と眺めていた。

咲き誇っていたプルメリアも、ブーゲンビリアもハイビスカスも庭に植えていたすべての花が

どこかへ飛んで行ってしまっていた。

しかし、、今朝がれきの中でバラが咲いていた。


暴風雨におびえていたヤギも豚も普段通りの顔に戻っていた。

が、しかし、、この鶏はどこから来たんだろう。台風前にはいなかった。

台風13号サイパン被害  復旧の兆し     2015年8月9日

台風13号サイパン上陸から1週間がたちました。

甚大な被害を被り今だに電気、水は止まったままですが復旧の兆しも見えてきました。

アメリカから続々と助っ人が島に上陸!

島の電気、水道局のスタッフだって自宅被害にあっているだろうに皆何て頼もしくてかっこ良いんだろう。涙が出そうです。

台風13号サイパン島の被害状況 ( Soudelor)

8月2日 夕刻9時ごろから吹き荒れた台風13号の被害状況です。

先ずはサンビセンテ村 私の家です。

朝、陽が昇るのを待って庭に出てみてなぜか頭に浮かんだんは中島みゆきの歌         「荒野にて」でした。 思わず歌ってしまった。

しみじみ見ると私の家は森の中にあったんだなぁ~。


25年間も一緒だったマンゴーの木が上半分真っ二つ!プルメリア、モンキーポッド、火炎樹

大きな木はことごとく倒されていました。


外へ出る道路が倒木でふさがれて車が出せません、携帯電話に電波もイマイチ、、。会社に行けない、、、、、、。 




台風13号が吹き荒れた自宅庭

会社のバス置場と修理場所の屋根が吹っ飛びました。バス番号3番のフロントガラスが破損!

車両出入り口近くの大木が倒れてバスのでいるが出来なくなっていましたが、メカニックスタッフの人達が別の入り口を確保してくれていました。

ペイントブースの屋根も落ちていました、、、。(涙)

メイン道路沿いの電柱があちらこちらで倒れています。 電気を送るためのトランスフォーマーもごろごろ落ちていました。垂れ下がった電線も道路上に散乱しています。

当分電気、水は来そうもありません。

ガソリンスタンド

道路状況 

グロット、スーサイドクリフへの道

北部の道路状況確認に行ってきました。

バンザイ岬、ラストコマンドポストあたりまでは普通に通行が出来ます。

ラストコマンド前を過ぎてグロット、バードアイランドへの道は倒木が多く通行に支障があります。

7人乗り車両位のサイズでしたら歩道に乗り上げれば何とか通れそうです。                ガンバレば14人乗りのVANも何とか行けるかもしれません。                       スーサイドへの道は更に倒木が多くVANの通行はかなり危険です。 

生命保証状

大東亜戦争時、米軍が投降を勧めるためにばら撒いたものです

70年前の大変貴重な資料を見せて頂くことが出来たのでここに紹介します。

これを手に取って信じた人はどれくらいいたのでしょう、信じて投降していれば助かった命がたくさんあったのだろうと今思います。しかしながら当時サイパン島の教育は完全なる軍国主義で一般民間人にまで「戦陣訓」の教えが行きわたっていたと聞いています。教育と言うのはとても恐ろしいものだとつくづく思います。

「サイパン島守備兵に与へる訓示」

「断乎進んで米鬼に一撃を加へ、太平洋の防波堤となりてサイパン島に骨を埋めんとす。

戦陣訓に曰く『生きて虜囚の辱を受けず』

勇躍全力を尽して従容として悠久の大義に生きるを悦びとすべし。

米軍はサイパン島原住民であるチャモロ人、カロリニアン人に対しても投降を呼びかけました。 当時彼らも日本の教育を受けていました。

相思樹                      5/24/2015

そうしじゅ、サイパンチャモロ語では「ソウシギ」、パラオでは「ヤナギ」      学名は「アカシア」

とても固い木でサイパン日本統治時代は軽便鉄道線路の枕木に使われていたそうです。

71年前、当時6歳だった少女が戦火を逃れてタナパグから北部へ一家で避難している最中の事、

逃げている途中にお父様が弾にあたり亡くなってしまいその亡骸を相思樹の根元に埋葬されたそうです。

出来る事ならその木を探して遺骨を掘り返し沖縄に連れて帰りたい。

そんな思いで70年ぶりに当地を訪れたご婦人とそのお子様方がいらっしゃいました。


出来ることは何でもお手伝いして想いを叶えて差し上げたいと思いました。

しかし骨を持ち帰るためには様々な手続きが必要です。手続きだけで済むのならいくらでも努力しますが、

遺骨を探し、掘りあてそれを祖国に持ち帰るためには日本国政府の協力が無ければこの島では何もできません。 ここに遺骨があると報告している骨ですらそのままになっているのが現状です。


戦争当時1歳だった人達が今71歳、10歳だった方は81歳です。

日本国政府は、この方たちが御元気なうちに想いを叶えて差し上げることは出来ないのでしょか。

情けない、、あぁ~情けない。



パンヤノキ、木綿カポック、カポックの木

サイパンにも木綿カポックの木がたくさんありますが、この1本はとげだらけです。

幹にとげがたくさんあります、種類が違うのでしょうか調べているのですがまだわかりません。

綿の実も葉も他のカポックと異なるように見えます。